実際、一九九三年五月二〇日にはSEPCがセガのソフトを出すとの発表が新聞に大きく取り上げられたこともある。
日本は特殊な市場だから放っておくが、日本以外はダメだ。
アメリカは、私の考えでやる。
私の管轄下でないとうまくいかないだろう。
プレイステーションはソフトビジネスだから、そもそもすべて私の元に一元化すべきだ、というのがアメリカ側のトップの考えだった。
だから何かにつけ異論を挟んできた。
何より、Kたちは単にハ-ドの開発と生産をしているのだから、言われた通り生産しろ、ビジネスやマーケティングについても俺の言う通りにしろ、というような態度だったのであ特にソフトウェアの価格政策については双方ですれ違っていた。
日本側としては価格を下げたいと考えている。
ところがアメリカ側としては、価格はむしろ上げなければならないとする。
そんな価格政策の違いが札離となって表面化してきた。
なぜ、これはどう食い違うのか。
アメリカのマネジメントはゲ-ム業界でのベテランばかりだった。
だから既存のビジネスモデルや過去の知識、経験から、物事を判断する。
ところが、プレイステーションはそれまでのゲ-ム業界のあり方をまったく否定し、突き崩すものであった。
そもそも考え方が全く違っていたのである。
だからそれは墨守と革新の戦いとも言えた。
日本ははじめから、普及を狙って五八〇〇円という値付けに設定し、CD-ROMのメリットを「思いつきり出した」(K)。
一方、ソフトは高く付けなければならないというのがSEPC側の一致した意見であった。
本来ならアメリカも、低価格でやりたかったのだが、実際には五九から六九ドルという値付けになってしまったのには、そんな背景があった(現在は三九から四九ドルに値下げ)。
これではマスクROMカートリッジと同じ価格になってしまいCD-ROMならではの差別化ができない。
ハードでも同じような発想で、損をすることを嫌い、マージンをのせたがった。
億中は言う。
「ぼくらは土俵を変えようと行動しているんです。
知らねえが仏でやっている。
土俵をひっくり返す戦略です。
でも、アメリカ側からみると、SCEIはゲ-ムの新参者であり、アメHYカはおれたちのホームグラ・ワンドと思うのも無理はありませんよね」。
CD-ROMでリピートが利くから、売れる量だけ作ればよいのだと言っても、「それはアメリカはドント・ワ-クだ」と言い張る。
確かに、アメリカの市場は、日本とは違うところがある。
ソフトメーカーが直接、小売店に営業をかける体制であり、日本のようにソフトの仕入れ販売はできない。
逆に日本でそれができた理由は、任天堂が流通を複雑なものにしていたからである。
だからこそ、仕入れ販売という特異な形態が可能になったとも言えるのだ。
アメリカでは、CD-ROMのリピートもすぐに可能というわけではない。
確かに構造的に違うのである。
しかし、日米問題を看過しておくわけには、いかない。
「当時、九五年の春は、三重苦でした。
為替が超円高に振れ、売れ行き不振などが心配で夜も眠れませんでした」。
アメリカのマンネジメント問題、S・アメリカからプレイステーションを取り戻せ。
アメリカのことをなんとかしなければ、プレイステーションが本当に成功したとは言えない。
久多良木にしてみると、各人の態度は、今一つ煮え切らなかった。
Tは「そうは言ったって、アメリカのことはS・アメリカに任せているのだから…」とブツプツ言い、Yは当初、「日本以外は関心ないし、面倒だ。
アメリカはマネジメントが違うのだから、任せたらどうか」とつぶやいていた。
Kは、そんな意見を相手に、「今、ここで弱気になってはならない。
これは全世界を対象としたフォーマット・ビジネスでアメリカは最重要地域だ。
アメリカで普及させるためには、この問題をなんとかしなければならない」と説いた。
月曜の畳食をはさんだ役員懇談会の場でとにかくしつこく、アメリカ市場の重要性を関係者に説いた。
役員懇談会は「混乱し、紛糾する、疲れる会議です。
人の領域にずかずかと踏み込んでいく。
普通の日本の会社の経営会議とは、ぜんぜん違います。
だから議論が終わったら、守ったりしますよ」(Y)。
Oにもアメリカのビジネスを日本で統括しなければ、絶対に成功しないこと、彼らに任せていてはならないことを、何度も話し、関係ないという顔をしたがる日本のS・ミュージックにも話を持って行った。
初めはインフラがないから、Sの資源を使って始めたのは致し方のなかったことである。
しかし、現地のマネジメントとの札喋は、もう見過ごすわけにはいかない段階まできていた。
できるだけ早く、アメリカの組織を自分の傘下に組み入れ、自らの仕切りでマーケティングやライセシングができるような形にもっていかなければならない。
アメリカ市場で飛躍するためには、プレイステーションを完全にS・アメリカから切り離さなくではならない:Yがまず分かってくれた。
「S・アメリカからプレイステーションを取り戻そうよ」。
そして自分が取り戻しに行くとまで言った。
資本系列を正しく直し、正しい経営にしなければならない、と。
事態も変わってきた。
Sの社長がI伸之となり、S・アメリカのトップマネジメントが辞任したのである。
九五年十二月のことだった。
S・アメリカの再編である。
チャンスは、今だ!週に四日のアメリカ出張「アメリカを取り戻さなけりゃ」。
Kは自分が行くと言い張った。
しかし回りに「いや、お前には日本でやることがある」と止められた。
そこで白羽の矢が立ったのが、Yだった。
九六年当時、S・ミュージックの業績は今一つの状態だった。
S・ミュージックからは、「自社の仕事に専念して欲しい」と言われていた。
しかし、アメリカのプレイステーションも心配だ。
そもそもS・ミュージックにとって海外のビジネスは領域外のこと。
ニューヨークのS・ミュージックが日本以外の全世界市場を仕切り、東京本社のテリトリーは、日本市場だけに限られていた。
だから、日本のS・ミュージックには、海外での仕事のノウハウは皆無である。
プレイステーションビジネスでは、S・ミュージックから、マーケティングを中心にさまざまなノウハウがSCEIに流れたが、海外関係のそれはなにもない。
しかし今さら、そんなことは言っていられない。
なんとしてもアメリカのオペレーションを立て直さなければならなかった。
Yの持ち味はスニーカーで駆ける軽快なフットワークだ。
サンフランシスコのオフィスに直接、乗り込み、アメリカの現地マネジメントの仕事ぶりの監視を始めることとなった。
S・アメリカのトップは交替したが、プレイステーション関係のビジネスを実際に動かしている人は替わっていなかったからだ。
彼らが果たして、日本側の要求どおりに動いてくれるのか。
Yが行くといっても、東京でのS・ミュージックの仕事があるから、掛け持ちである。
そこで試しに水曜日に成田を出発し、土曜日に帰国、日曜日は休むというスケジュールでやってみたが、これじゃ体が持たないことが分かった。
九六年一月一六日に成田を立ってから、三回やったところで、これは無理ということになった。
チラシ印刷が発売されます。便利で楽しいチラシ印刷が満載です。
今やチラシ印刷だけあれば充分だと感じました。トップクラスのチラシ印刷です。
チラシ印刷を体験しましょう。チラシ印刷で明るい雰囲気を演出しましょう。
印刷会社は自分でもできます。印刷会社の知識が一目瞭然です。
近未来的な印刷会社に対策をしましょう。お客様から印刷会社の喜びの声を頂いています。
印刷会社のことならお任せください!印刷会社探しならお任せください。
印刷会社 大阪ご提案致します。お客様から印刷会社 大阪の喜びの声を頂いています。
主力の印刷会社 大阪の失敗しない選び方を紹介します。印刷会社 大阪の検索がとっても楽になりました。
印刷会社 大阪の方法をご存知ですか?多くの人が印刷会社 大阪を評価しています。
フライヤー印刷の発展性を考えてみました。日本最大のフライヤー印刷サイトです。
幅広い分野のフライヤー印刷です。フライヤー印刷をするには努力が必要です。
無料版のフライヤー印刷が検索可です。フライヤー印刷がもっと楽しくなります。